親の死に目に会いにくい新型コロナウィルス禍で私を助けてくれた記事s

緩和ケア病棟に入院していた母が7月末に亡くなった。3か月間、毎日のように見舞いに行っていたのに母の死に目に会うことは叶わなかった。

新型コロナウィルス禍ではほとんどの病院で面会制限があると思うが、その緩和ケア病棟は有難いことに柔軟な対応を取っていた。私がもっと脳みそを使って、かつ、望めば、母の最期を看取ることは可能だったかもしれないと思う。詳細はまだ苦しくてここに書くことができないが自分の愚かな判断ミスで母の最期に立ち会えなかった・・・と今でも自己嫌悪に陥るときがある。

そんな私を大分救ってくれた記事が二つある。

一つ目は、早期緩和ケア外来・相談を東京都文京区にある緩和ケア専門のクリニックで行っていらっしゃる緩和ケア医の大津秀一先生のブログ記事

「末期癌 最後の数日 家族にできる1つのこととは?」

である。

「私は母のために今の病院を探し、入院できるように手伝い、毎日見舞いに行っているが、果たしてこれで良いのだろうか。母はいつもかなり苦しそうだし、私はそばにいても耳の遠い母に廊下や隣室やナースステーションまで聴こえかねない声を張り上げて語りかける度胸もない。」
と考えてしまいずっと心苦しかった。

そんなときに見つけた上記のブログ記事にはこんなことが書いてあった。

いてあげることしかできない。よく聞く言葉です。
 
しかし、そんなことはないのです。
 
いてあげることだって大変なこと。勇気が必要です。
 
そして、いてあげることは、十分以上にできることです。
 
実際に、そのような時は、患者さんが少しだけ楽になっているようにみえることはしばしばあります。
 
気がつかないだけで、実は最後の瞬間まで、緩和を与えていると思います。
 

これを読んでから、
「そうか、私がそばにいるだけで、もしかしたら母は少しだけ良い時間を過ごせているのかもしれない。実際に私がいるときの母と看護師が見ている母とはまるで別人のようなときがあるらしいし。私が気の利いたことを大声で言えなかったとしても、きっとそれでいいのだ。」
と思うようになった。そして、死に目に会えなかったけれど、私は母と良い時間や奇跡的な体験を何度も味わったのだから、そのことに感謝しよう、と考えようとしている。

二つ目の記事は

電車の中での携帯電話、父親が危篤でも「かけたら迷惑」と思う日本人/鴻上尚史

である。正確には、この記事で言及されている別の新聞記事に掲載されていた話である。

親が危篤との連絡を受け、電車で駆けつけている息子が途中で間に合わないと思いつつも周囲に遠慮して電話することをためらっていると車内の他人が電話した方がいいですよ、と声をかけてくれ、結局息子は親に電話越しでお礼の言葉を最期に伝えることができた、という話である。

母が亡くなった日、いつもの見舞いから帰宅後しばらくして危篤の連絡を病院から電話でもらった。すぐにタクシーで駆けつけたのだが、タクシーに乗っている最中に母は亡くなってしまった。

危篤の連絡を受けた時点で母の呼吸はかなり弱くなっている、とのことだったし、タクシーで行くのに少なくとも必要な20分は持たないような気がしていた。

上記の二つ目の記事を読んでからは母の病室のベッドのそばに置いてあった母のガラケーを念のため頻繁に充電しておくようにしていたので、私はタクシーの中から母の携帯電話に電話をかけてみた。そのとき母にはもう携帯電話に出る力(ちから)がないことはわかっていたが病室にいた看護師がガラケーに出てくれた。看護師は「今どの辺ですか?大分呼吸が弱くなっています。」とは言ってくれたが、耳元に携帯電話を置きますから、とは言ってくれなかった。

まだ間に合うということなのだろう、と思い、私は一旦電話を切った。

が、しばらくすると看護師が母のガラケーに残された着信履歴から私の電話にかけなおしてくれ、「もうすぐ呼吸が止まってしまいそうなので、お母さんに聴こえるように耳元に携帯電話をおきますから、声をかけてあげてください。」と言ってくれたのだ。

私は耳が遠くなった母にも聴こえるようにありったけの声でお礼の言葉を叫び続けた。タクシーの運転手にどれだけ引かれようが、なんでもいいから私の声が少しでも聴こえてくれたらそれでいいと思って、馬鹿みたいに同じようなことを何度も。それでもやっぱり他人が聴いていると思うとあんまり恥ずかしいことも言えず、我ながら本当に馬鹿な自意識過剰ぶりだ。

電話をかわった看護師さんは「お母さんにはちゃんと娘さんの声が聴こえて安心したような顔をしていました。事故にあったらいけないのでもう慌てないで来てくださいね。」と言った。母はもう亡くなってしまったのだ、とそのときわかった。

病院に到着すると「娘さんの声を聴きながら眠るように亡くなりましたよ。」「娘さんがいる前では逝けなかったんだと思いますよ。一旦お孫さんのところに帰宅させてくれたんじゃないでしょうか。」と担当看護師が言ってくれた。

別の看護師は「まだ手が温かいから触ってあげてください。」と言ってくれた。手に触れると本当に母の身体はまだ温かった。

また、担当看護師が、最期の瞬間は4人の看護師で見送りました、と教えてくれた。人手不足で多忙な看護師さんが母のためにそこまでしてくれたこと、母が亡くなるとき、母はひとりぼっちではなかったこと、がわかり、救われるとともに本当に有難いと思った。

もし二つ目の記事にある話を読んでいなかったら、私はタクシーの中で大声で電話で話す、なんてことは思い付かっただろうし、思い付いたとしても恥ずかしくてできなかったと思う。この話を読んだから看護師に電話しておくことを思い付き、タクシーの中から叫んだっていいと思えたのだ。

ところで、タクシーを降りるとき、メーターは2020円を表示していた。現金で2050円を渡したらタクシーの運転手が「いやいや、そんな・・・。」と50円を返してきた。

一体どういう意味だったのか今でもよくわからないが、「間に合わなくてごめんね。20円はいらないから早くお母さんのところに行ってあげて。」という意味だったのかな、とそのときは思ったのだが、「20円って?!」と後から笑いが止まらなくなった・・・。いや、売上の1%だと思えば十分あり得る脚本かもしれぬ。そして、そこはそのそも「おつりは不要です。」と私が最初に言うところだったのかもしれない、とも思ったのであった・・・。

 あと素朴な疑問。タクシーで行き先を告げるとき、親が危篤だから急いで欲しい、と伝えて事故られたら嫌だな、と思って何も言わなかったのだが、こういうときってやっぱり言った方がいいのだろうか。少しでも早く着けるのなら言った方がいいのかもしれないと後から思ったのだか後の祭だし、いずれにせよ間に合わなかっただろうとは思う。

と、この記事は書きかけでしばらく置いてあったのだが、ツイッターでまた新たな記事の紹介ツイートがタイムリーに流れてきた。

死後何年も経った父を含む自分の親の死については、クヨクヨし出すとキリがない。本記事が、似たような状況の人の参考に少しでもなれば嬉しい。

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