コロナウィルス(COVID-19)流行のため面会制限を強いられ入院中の親などに会いに行けない人が多いと思う。私も今は亡き高齢の母が住んでいた老人ホームや入院していた病院に面会に行けないことが続くという経験を2020年にしたことがある。そのときのことを振り返ってみて、ああすればよかった、こうすればよかった、ということがいくつかあるので、自分の心を整理するためにも、将来似たようなことがあったときに役立てるためにも、まとめておきたいと思う。
母は亡くなる数か月前まで有料老人ホーム(以下、自宅)で生活していた。2019年秋にかなり進行したがんであることが判明し、がん切除+抗がん剤治療などの積極的な治療はせずに緩和ケアだけ受けることを本人は選択した。その後、緩和ケア病棟のある2つの病院(以下、最初の病院および最後の病院)に1回ずつ入院した。最後の病院で母は亡くなった。
最初の病院から退院して自宅に戻っていた母にはその入院前よりも頻繁に会いに行くようにしていたが、コロナウィルスの流行により老人ホームが面会を禁止してしまったため、2020年3月頃から私は母に会いに行くことができなくなってしまった。
できることといえば電話で話したり、母に頼まれた食品や生活必需品などをAmazonやヨドバシカメラなどのネット通販で注文して母に送ってもらうことぐらい。
その間にも母の具合がどんどん悪くなっていくのが電話で話していてもわかった。
次第に母は自宅から一歩も出ることがなくなり一日中ベッドで過ごすようになり、私からの電話に出て話すことも難しくなっていった。介護専用のフロアの居室が満員だったので、介護スタッフが母の居室まで毎日来てくれていた。
あれだけ病院はもう嫌、と言っていた母もあまりに辛くなり、緩和ケア病棟にまた入院することを希望したため、最後の病院に入院することになった。
入院のための病院探し~面談~入院許可~介護タクシー(車椅子ごと乗れるタクシー)手配が済み、一緒に介護タクシーで最後の病院に向かうために久しぶりに老人ホームを訪れた私は覚悟していたはずなのに、数か月会わない間にすっかり弱々しくなってしまった母の姿に愕然とした。
最後の病院に入院すると、手厚いケアにより、母は食事が摂れるほどまで回復し、しばらくは一見穏やかな時間も過ごせた。
もちろん面会制限はあり、病院から許可をもらった家族一人のみが1日1時間しか面会できなかった。それでも同じ病院内の他の病棟では面会は全く認められていなかったし、他の病院でも全く面会が認められていないところの方が多かったはずで、大変恵まれていたと思う。もしこの最後の入院をしなければ、亡くなるまで全く会えなかった可能性もあったのだ。だが、入院により、せん妄や認知機能の急激な衰えも見られるようになり、それまでのようなコミュニケーションを母と取ることは難しくなっていった。
いよいよ亡くなってしまいそう、という状況になったときには、病院に泊まり込んで看取ることも可能だった。ただし、新コロ感染予防のため、いったん泊まり込みを始めた家族は、最期まで病院を出ることが許されないという決まりになっていた。
患者の血圧が一旦低くなりいよいよ亡くなる、と思って病院に宿泊することを決めても、また患者の血圧が上がって1週間以上も生き続けたため、長期間病院から出られなくなってしまった遺族もいる、という話も聞かされたので、病院に泊まり込むタイミングを決めるのが難しかった。それに、いったん泊まり込んでも自宅にいる小学生の子どものことが気になってしまうことは目に見えていたし、自営業の夫にもかなりの負担をかけてしまうことがわかっていた。泊まり込んだら、まるで「母の死を待つ」かのようになってしまうのも嫌だった。毎日見舞いに行くことしか私にはできず、別記事「親の死に目に会いにくい新型コロナウィルス禍で私を助けてくれた記事たち」でも書いたように結局最期の瞬間に立ち会うこともできなかった。
もっとすれば良かった、と思っていること(1)
面会禁止になった後、同じ空間を共有したり会話をすることはできなくても老人ホームの集合玄関の窓越しで手を振り合うだけのためでも、もっと何度も顔だけでも見に行けばよかった。そのときは、そんなことしたら泣き上戸の自分はすぐ泣いてしまうから老人ホームのスタッフの人に申し訳ない、と思っていたし、提案したとしても母は嫌がったかもしれないけれど・・・。
もっとすれば良かった、と思っていること(2)
会えないときは手紙を書いて写真などと一緒に送れば良かった。これなら誰にもあまり負担がかからず母も嫌がらなかったかもしれない。
もっとすれば良かった、と思っていること(3)
病院とコミュニケーションをもっとよく取って、色々お願いしてみれば良かった。迷惑な患者と迷惑な家族、と思われるのが怖くて遠慮ばかりしていた。別記事「親の死に目に会いにくい新型コロナウィルス禍で私を助けてくれた記事たち」でも書いたように最期に立ち会えなかったのも、このつまらない遠慮のせいだ。
しなければ良かった、と後悔していること(1)
老人ホームや病院のスタッフの性格を知る前に「母が色々迷惑をかけてすみません」と言ったり、自分の苦しみを打ち明けたり愚痴を言ったりしなければ良かった。そのようなことを言うと、スタッフによっては、(少なくとも自分の前では)自分の味方をしてしまう。そして、私に対して母の悪口のようなことを言い始めるようになる。私を慰めるつもりで言ってくれているときもあったとは思うが、正直これは苦しかった。家族も弱音を吐いていいんですよ、と看護師や心理士は言ってくれるが、真に受けてはいけなかったと思う。私は母のことを影で悪く言いたくなかったし、認知機能が衰えているからといって、母に聴こえるところで母のことを悪く言ってほしくはなかった。看護師も医師もストレスを多く抱えている人間だ。どんなに教育が行き届いているように見えても、認知機能が衰えた高齢者の尊厳を守ってくれる人ばかりではない。在宅介護の苦労さえしていない自分がナイーブすぎるのは重々承知しているが、悪い先入観を持たれたり家族のことを悪く言われたりしたくなければ、これは気を付けた方が良いことだと思った。ある看護師さんに「悪いことは私たちが全部引き受けますから、きゃふぃ~さんだけはいつもお母さんの味方でいてあげてください。」と言われたことがあったが、今になって、その意味が少しわかったような気がする。
もっとすれば良かった、と思っていること(4)
親が少しでも元気なときにもっと親孝行をすれば良かった。最後はやっぱりこれに尽きる。具体的には、気恥ずかしくても感謝していることは全部素直に伝えておく、「これが欲しい/あれが欲しい」と親が言ったら、それを叶えるために必要なことをできる限り支援する、などである。例えば母が「乾燥機付きのお湯で洗える洗濯機に買い替えたい」と何度か言っていたのに、反対こそしなかったものの「ぜひそうしなよ!」と言って全力で応援することを怠ったこと、などをひどく後悔している。母が亡くなった後に自分の洗濯機が壊れて、そんな便利な洗濯機に買い替えたので、その洗濯機を使って恩恵を感じるたびに母が言っていたことを思い出してしまうのだ。
最後に
新コロ対策で家にこもったり人に会わなかったり活動が減ったり入院したりすることは高齢者にあらゆる面で急激な衰えをもたらす。特に入院はほぼ1日中ベッドで過ごすことを意味するので、本当にびっくりするような変化が急に起きる。少ししか面会できない家族はこの急な変化についていけず、看護師や医師による認識と自分による認識との間に大きな差ができてしまうこともある。できるだけ本人が活動的に過ごすためや自分のことは自分でするための支援をしたり、脳に刺激を与えるようなことをしてもらえるように工夫する必要があることを痛感した。面会制限がある中ではなかなか難しいことなのだが、上に書いたようなことができれば少しは良いかもしれないと思う。
母を失ってみて時間がたち、考えたことは、そんなことである。
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