大平一枝さんの「届かなかった手紙」を読んで

別記事「大平一枝さんの「昭和式もめない会話帖」を読んで」で言及した「届かなかった手紙」という本。大分前に一気に読み終えたのだが本投稿までに随分時間がかかってしまった。テーマは非常に重たいが、文章はとても読みやすく、最後まで飽きずに夢中で読み進めることができた。 多くの人に読んで欲しい本である。

「届かなかった手紙」 は、原爆が作られるきっかけを作ったとされる科学者(レオ・シラード)が実は日本への無警告での原爆投下を中止してほしいという請願書を原爆投下直前に当時の大統領(トルーマン)に送っていた、という話を知って驚愕した大平一枝さんがアメリカまで取材に行って書き上げた本である。その取材は、シラードの請願書に署名した科学者とその家族や、シラードを知る人物を中心に実施された。

「届かなかった手紙」から、私はそれまで全く知らなかった原爆にまつわる話を知ることができた。そして、この本には、フリーのライターである大平一枝さんがその出版に必要となる取材や、そのための人材や費用の確保に苦労したようすまでもが書かれているところがとても大平一枝さんらしくもあり興味深い。

原爆の歴史に詳しい学者とかではなく大平一枝さんがこのような本を書いたことに意味があると思う。大平一枝さんのファンでなければ私はこの類いの本を自分から手に取ることはなかったかもしれない。大平一枝さん自身も、原爆とか戦争のことについてあまり知識のない人にこそ 「届かなかった手紙」 を読んでもらいたい、と書いている。

大平一枝さんのホームページには 「紙、お茶請け、お勝手、昭和ことば、折りたたみ傘、ご近所づきあいのある集合住宅づくり。これまで書いてきたものと異なる作品に見えるかもしれませんが、失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマにかいてきた自分の中では共通しています。」と記されている。

私のこんなブログでも訪問してくださった方を通じて「届かなかった手紙」を読んで下さる方がほんのわずかでも増えてくれたら良いなと願っている。

ところで、この投稿を書いている矢先に「原爆に関する文献 各国の言語で検索できるサイト公開」という記事の紹介がツイッターで流れてきた。このサイトのデータベースには外国語版が存在するものでないと日本語の本は登録されないようである。残念だ。「届かなかった手紙」の登録は今のところできないと思うが、このようなサイトが出来たことはとても意義深い。

クラウドファンディングを使って大平一枝さんが続編を書いてくれないかなぁ、なんてことも勝手に妄想しつつ「届かなかった手紙」を出版するためにしたであろうすさまじき苦労を考えれば、とてもそんな簡単に続編を作ることはできないであろうことは容易に想像できる。

ネタバレになってしまうので最後になってしまったが、この本を読んで初めて知って驚いたことや覚えておきたいことを以下に記しておきたい。

・長崎に落とされた原爆は当初、福岡県の小倉に投下する予定だったという。小倉の天候が悪かったため、当日に急遽長崎に変更になったそうだ。新潟や京都が候補に挙がっていたときもあったとのこと。そして、原爆の効果を知るために、投下の候補地への事前の空襲は極力避けられていたとのこと。ちょうど「この世界の片隅に」でも、同じ広島県でも呉には空襲があるけれど広島にはない、ということが描かれていることを思い出した。背筋が凍る話である。

・爆弾設計と試験はシカゴ、爆弾設計と組み立てはニューメキシコ州、ウラン生産はテネシー州、プルトニウム生産は西海岸のワシントン州コロンビア川(←ワインの産地としてもよく聞く)付近(ハンフォード)だったという。ワシントン州には私も少しだけ住んでいたことがあるのでとても気になり検索してみたところ、朝日新聞のウェブサイトで読める「核の神話」という連載にもハンフォードのことが書かれている。

・「シラードは、戦後一貫して国民の知る権利の重要性を訴え、それこそが核の軍事利用の最大抑止力になると主張した。」

・大平一枝さんが取材で会う予定だったが大雪の影響で会えなかったというJim Stoffelsさん(元研究者)は、1982年に核兵器廃絶を訴えるWorld Citizens for Peace という小さな団体をハンフォードで設立。長崎の原爆記念日である8月9日には毎年平和イベントを開いている。長崎市とも交流があるそうだ。

またしてもまとまりのない投稿であるが、まずは大平さんの語り継ぎに少しでも早く(わずかでも)貢献したいので、このまま投稿させていただく。

 

 

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